皆さんは「かけ算の順序問題」を知っているでしょうか。
小学校の算数教育でしばしば論争になっている話題のようです。
今日は「かけ算の順序問題」について僕なりの考えを書いていきます。
目次
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かけ算の順序問題とは
現在の小学校教育では、かけ算を次のように教えています。
「1つ分の数」×「いくつ分の数」=「全部の数」
例として、次のような問題を考えましょう。
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
この問題に、
$$(×) 3\times5=15$$
と式を立てると間違いとなり、
$$(○) 5\times3=15$$
と式を立てなくてはならないのです。
この問題の場合、「1つ分の数」は「5個(ずつ)」であり、「いくつ分の数」は「3人」なので、指導された順序通りに書くと、
$$5\times3=15$$
という解答しか正解にならないということになります。
ネットで調べてみても、この指導の仕方について、不適切であるという声がたくさんあがっていました。
僕自身、疑問に思うことが多いのですが、この指導に賛成派の意見も分からなくもないです。
そこで今回は、かけ算の順序に対する指導に対して、
- 否定派の代表的な意見
- 僕なりの「賛成」の考え
- 結論
という構成で記事を書いていきたいと思います。
否定派の代表的な意見
まずはこの指導に否定派の意見として代表的なものを見ていきましょう。
1.数学的に矛盾した内容を教えている
「かけ算には交換法則が成り立つのだから、どちらの順序でも計算結果は変わらない」という主張です。
ちなみに交換法則とは、次の式
$$a \times b=b \times a$$
が常に正しいという法則です。
確かに、この法則がある以上、かけ算の順序によって正解、不正解を分けるのは不適切であるように感じます。
- かけ算には常に交換法則が成り立ちますよ。
- 文章問題のかけ算には交換法則が成り立ちませんよ。
一見するとこのような矛盾した内容を教えていることになるわけです。
この批判意見が一番強力な意見であることは間違い無いでしょう。
2.交換法則を理解している子どもの解答が不正解になる
子どもの中には、交換法則を知っている子もいるでしょう。
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
この問題に対して、交換法則を知っているA君が
「(3人の子どもが5個ずつりんごも持っているのを想像して、)かけ算を使えば答えが分かるな。3と5という数が出てくるから、(かけ算には交換法則が成り立つから順序は関係ないし、)3×5=15で答えは15個だ!」
という考えで解答したかもしれません。
この解答は数学的にどこにも間違いは無いですし、むしろ交換法則まで考慮した素晴らしい考え方であるといえるでしょう。
このような解答にバツを付けてしまっては、せっかく自由で数学的(抽象的)な考え方をしたA君に対して、
「ルール(約束)を覚えなさい!順序にはルールがあったでしょ。」
とルールを押し付けてしまうことになります。
これはあまりにもったいないことですし、子どもの混乱を招きます。
教師はルールを押し付ける前に、そのルールの意義を子どもに納得させる必要があるのですが、それがなかなかできていないのが現状だと思います。
自由で抽象的な発想は数学の強みです。
そのような数学的な考え方をしている将来の科学者の芽を、この指導が潰してまうことになりかねません。
3.「一つ分の数」、「いくつ分の数」という概念が分かりづらい
「そもそも『一つ分の数』、『いくつ分の数』という概念がわかりにくい」という主張です。
指導によっては、「ずつ」という言葉が入っている方が「一つ分の数」だよ、と教えていることもあるそうです。
しかし、「一つ分の数」に「ずつ」という言葉が使われていない文章問題もありますのでこの説明では不十分です。
3−1.そもそも「一つ分の数」「いくつ分の数」とは
もっと数学的にこの言葉を理解するためには、単位の導入が不可欠です。
例えば先程の問題、
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
この問題において、「一つ分の数」、「いくつ分の数」、「全部の数」を単位と一緒に表してみましょう。
- 「一つ分の数」=「5[個/人]」
- 「いくつ分の数」=「3[人]」
- 「全部の数」=「15[個]」
このようになります。
計算式は、
$$5[\frac{個}{人}] \times 3[人]=15[個]$$
となります。
このように、「一つ分の数」には単位が2つ(分母と分子に)使われていて、「いくつ分の数」にはその分母の単位が使われ、「全部の数」の単位はその分子の単位になります。
順序としては、単位が2つ使われている方を先に書けばいいわけです。
(これは単位同士の計算と見ることができます。単位換算についてはこちらにも書きました。
このような説明の仕方のほうがより数学的になりますが、小学生にこれを理解させるのは少々難しいでしょう。
3−2.どちらも「一つ分の数」になる場合がある
次のようなケースもあります。
こちらの問題をみてください。
問題:机を縦に4個ずつ、横に7個ずつ長方形に並べる。机は全部でいくつ必要か。
この場合は、「一つ分の数」が「4[個/列]」かもしれないし、「7[個/行]」かもしれません。
つまり、次の2式が成り立つわけです。
$$4[\frac{個}{列}] \times 7[列]=28個$$
$$7[\frac{個}{行}] \times 4[行]=28個$$
なので、この問題では順序を定めることはできません。
この問題だけではありません。
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
実は、先程のこの問題もどちらの数を「いくつ分の数」にとっても間違いではありません。
例えば、この問題を次のように捉えたらどうでしょう。
問題:お母さんがりんごをいくつか持っています。3人の子どもに同じ数だけ分けようと思ったので、トランプのカードを配るように一人に1個ずつ配っていきました。それを5回繰り返したらりんごを配り終わりました。りんごは全部でいくつだったでしょう。
この場合、一回分配ると3個りんごを配ることになりますから、「一つ分の数」は「3[個/回]」です。
それを5回繰り返したので、「いくつ分の数」は「5[回]」です。
式は次のようになります。
$$3[\frac{個}{回}] \times 5[回]=15個$$
通常正解になる次の式、
$$5[\frac{個}{人}] \times 3[人]=15個$$
とは逆の順序になっていますが、
「1つ分の数」×「いくつ分の数」=「全部の数」
というルールは守っています。
このように、「一つ分の数」と「いくつ分の数」はわかりにくい概念であり、また見方によっては入れ替わる可能性があるものであることが分かります。
以上が否定派の代表的な意見です。
まとめておきましょう。
- 数学的に矛盾した内容を教えている。
- 交換法則を理解している子どもの解答が不正解になる。
- 「一つ分の数」、「いくつ分の数」という概念が分かりづらい。
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僕なりの「賛成」の考え
かけ算に順序をつけるのに賛成する理由として、僕は教育的なものと数学的なものがあると思います。
まずは、かけ算の順序指導の教育的意義について書いていきます。
1.<教育的意義>過程や意味を考えない子どもをせき止める
順序の指導をすることによって計算の過程や意味を考えない子どもに改めて考えさせるきっかけを与える、というものです。
これが、一般的に言われる順序の指導の意義です。
具体的な話をしましょう。
例によって、いつもの問題で考えましょう。
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
この問題に対して、B君が次のような考えのもとに解答しました。
「かけ算の問題だな。3と5が出てくるから、テキトーに並べて3×5で15だ!」
(この解答は順序が逆のために不正解となります。)
B君がA君と違うところは、かけ算の交換法則を理解していないところです。
この場合、かけ算だと結果は同じですが、ひき算やわり算の場合に順序を逆にして結果が変わってしまう恐れがあります。
このような順序を気にしない子どもに注意を促すためにこの指導があると考えられます。
不正解となれば、順序を気にするきっかけになるからですね。
しかし、この考えだけで順序の指導をするのはあまりいいものとは言えません。
否定派の意見を考慮したらあまりにも小さな利点だからです。
そもそもこれでは、「順序をテキトーにせず、よく考えて解答しましょう」という指導をわざわざかけ算でする必要がありません。
なぜなら「よく考えたら」、ひき算やわり算は「順序をテキトー」にしちゃダメでも、かけ算は「順序をテキトー」にしていいのですから。
そこでどうしても「かけ算に順序をつける数学的意義」が必要になってきます。
ですが、ネットで探してもあまりそのような記述は見つかりませんでした。
そこで次のように考えてみてはどうでしょう。
2.<数学的意義>数式だけで子どもの考えを先生が読み取る
数式には、次の2種類があると思います。
- 計算のための数式
- 文章としての数式(他者に伝えるための数式)
例として高校で習う組合せ問題を見てみましょう。
問題:5種類の果物から2種類選びます。選び方は何通りあるでしょう。
この問題に対する模範解答は次のようになります。
$${}_5 \mathrm{ C }_2=\frac{5 \cdot 4}{2 \cdot 1}=\frac{20}{2}=10$$
よって、10通り
この場合、5C2というのは、「5種類から2種類選ぶ」という意味あいをはらんだ「文章としての数式(この場合は記号)」と見ることもできます。
次に続く
$${}_5 \mathrm{ C }_2=\frac{5 \cdot 4}{2 \cdot 1}$$
という数式も「5C2というのはこういう計算をすることですよ」という意味あいを持つ「文章としての数式」と考えられ、次からの
$$\frac{5\cdot4}{2\cdot1}=\frac{20}{2}=10$$
という数式に関しては、単に「計算のための数式」と見ることができます。
この解答を見た先生は、生徒がちゃんと理解していることを式から読み取ることができます。
もしも、答えだけ書いてあったら、実際に指折りで数えているかもしれず、生徒の理解を確かめることはできません。
分かりにくいのでもう一つ例を挙げてみます。
問題:りんご2個とみかん5個を買うと代金は710円になり,りんご4個とみかん3個を買うと代金は790円になります。りんご1個の値段,みかん1個の値段はそれぞれ何円ですか。
解答:
りんごをx円,みかんをy円として連立方程式を立てると次のようになる。
$$\begin{eqnarray}\left\{ \begin{array}{l} 2x + 5y = 710 ~~~~・・・(1) \\4x + 3y = 790 ~~~~・・・(2) \end{array}\right.\end{eqnarray}$$
$$(1) \times 2 ~~より~~~~4x+10y=1420~~~~・・・(3)$$
$$ (3)-(2)~~より~~~~7y=630$$
$$y=90$$
(1)に代入すると
$$2x+450=710$$
$$2x=260$$
$$x=130$$
よって、
$$\begin{eqnarray}\left\{ \begin{array}{l} x=130\\y=90 \end{array}\right.\end{eqnarray}$$
ゆえに、りんごは130円、みかんは90円である。
この場合、連立方程式の部分は文章問題の情報を数式で表した「文章としての数式」です。
その次からの数式は「計算のための数式」と言えるでしょう。
(「文章としての数式」と見ることもできますが、計算としての役割の方が大きいでしょう。綺麗にどちらの式と分けることができない数式も多いと思います。)
この解答についても、先生は生徒がどのように答えを求めたかが分かります。
例が長くなってしまいました。
つまり、数式は計算のためだけでなく、文章として他者に伝える役割も持っているということです。
そして、かけ算に順序のルールを作ることで、先生が生徒の考えを式から読み取ることができるのです。
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
この問題に対して、5×3=15 と書いてあったら、生徒が先生に向けて「一つ分の数は5でいくつ分の数は3ですよ」と伝えていることになるわけです。
この式はまさに「文章としての数式」ということです。
この点において、批判派の意見である「交換法則が成り立つからどちらから書いても『意味は同じ』だ」という意見が無効になります。
なぜなら、確かに「計算として」は 5×3 でも 3×5 でも「意味は同じ」になりますが、数式を「文章として」読み取ると順序のルールがある以上、書く順番によって「意味は同じ」とは言えないからです。
( 3×5=15 と書いてあったら、「一つ分の数は3でいくつ分の数は5ですよ」と伝えていることになり、意味が変わる。)
よって、僕は結論として次のような考えに至りました。
「かけ算に順序をつける数学的意義」は「順序のルールを作ることによって、数式だけから生徒(書き手)の考えを先生(読み手)が読み取ることができる」ことである!
わざわざ「一つ分の数は5でいくつ分の数は3です。」と書かなくても数式だけで自分の考えを表せるということがメリットになるわけです。
数学はこのように、「情報」をできるだけコンパクトに数式や記号で表現することを好む学問です。
5C2は5つから2つ選ぶという「情報」を表現した記号であり、連立方程式は文章問題の「情報」を表現した数式になっています。
かけ算の順序についても、「計算のための数式」として見るのではなく、「文章としての数式」と見ることによって初めてその意義を享受できるのだと思います。
やはり、かけ算の順序指導は適切でない
しかし、それでもやはり現在行われているかけ算の順序指導は適切でないと思います。
理由は先述したようにたくさんあります。
- 数学的に矛盾した内容を教えている。
- 交換法則を理解している子どもの解答が不正解になる(解答から生徒の理解を判断できない)。
- 「一つ分の数」、「いくつ分の数」という概念が分かりづらい。
これらの理由に加えて、
- 順序のルールを作るメリットが少ない
- 「日本」の「小学校」だけというローカルなルールである
などがあります。
また、順序のルールを作る意義は、数式だけから書き手の意思を読み手に伝えることができることでしたが、そのためには次の3つの条件を満たす必要があります。
-
書き手が順序のルールを知っている。
-
読み手が順序のルールを知っている。
-
書き手が順序のルールを知っていることが読み手に伝わっている。
問題:3人の子どもに1人5個ずつりんごを配りたい。りんごは全部で何個必要でしょう。
この問題の解答として、
式:5×3=15 答え:15個 (←正しい順番)
と書かれていた時、
1つ目の条件が抜けている、つまり書き手が順序のルールを知らない場合、正解にはなりますが生徒(書き手)は先生(読み手)に向かって何のメッセージも送っていないことになり、意思疎通できてはいません。
テキトーに書いたらたまたま順番が正解だったにすぎません。
2つ目の条件が抜けている、つまり読み手が順序のルールを知らない場合、書き手がせっかく送ったメッセージを読み手は受け取ることができません。(先生がルールの存在を知らないわけはないので、読み手が先生の場合はありえない話ですが。)
厄介なのは3つ目の条件が抜けている時です。
書き手が順序のルールを知っていることが読み手に判断できない場合、つまりテストを採点する先生の立場です。
この場合、 5×3=15 を「文章としての数式」と読み取りたいけど、もしかしたら生徒(書き手)がルールを知らない可能性があり、単なる「計算としての数式」として書いているかもしれない、と考えなくてはいけません。
よって、順番通りに書いてあったからといって正誤を判断することはできないのです。
本来正誤は「ちゃんと『一つ分の数』『いくつ分の数』を判断できているか」によって決めるのですから。
また、不正解となる 3×5=15 という解答も、生徒が次の3つのどのケースなのか判断できません。
- 順序のルールを知っていて「一つ分の数」「いくつ分の数」を逆に捉えてしまった。(不正解にするべき)
- ルールを知らなくて、テキトーに並べて書いた。(不正解にするべき)
- ルールを知らないが、交換法則を考慮し順序を気にせずに書いた。(正解にするべき(?))
そして、それぞれのケースによって指導すべき内容が異なります。
今の学校での教育はこの3つ目の条件が抜けている状態です。
数式だけから生徒の考えを読み取ることができるのがルールを作るメリットだったのに、条件が満たされていないせいで数式だけからは生徒の理解を判断できないという状況になってしまっています。
改善策は何だろうか?
では、どのような指導が良いのでしょうか。
まあ、次の2つのどちらかでしょう。
- 順序のルールを何らかの方法で認識させる。
- 順序のルール自体をなくす。
3つ目の条件を満たすために、生徒に順序のルールを明確に意識させる必要があります。
例えば、式と答えを書く欄の他に、「一つ分の数」「いくつ分の数」を書く場所を作ればいいと思います。
それかいっその事ルール自体をなくしてしまい、どちらの順序でもいいとするのが一番いいように感じます。
先程も書きましたが、かけ算の順序のルールは、「日本」の「小学校」のしかも「今の時代」でしか通用しないルールです。
このルールの数学的意義を享受するためには、さっきの3つの条件を満たさなくてはならず、ローカルな狭い範囲の中でしか意味を持ちません。
むしろ子どもの混乱を招くなど良くない面の方が目立ちます。
賛成派の考えもわからなくもないですが、私はこの指導には反対という結論になりました。
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まとめ
随分と長い記事になりましたね。
最後に軽くまとめておきます。
かけ算の順序の指導について
◯賛成の理由
- 過程や意味を考えない子どもをせき止めることができる。
- 数式だけで子どもの考えを先生が読み取ることができる。(数学の強み)
◯反対の理由
- 数学的に矛盾した内容を教えている。
- 交換法則を理解している子どもの解答が不正解になる。
- 「一つ分の数」、「いくつ分の数」という概念が分かりづらい。
- 順序のルールを作るメリットが少ない。
- 「日本」の「小学校」だけというローカルなルールである。
- 先生が子どもの理解を判断できていない。
以上で終わりにします。
お疲れ様でした。
またね。